学校の校舎が出来た♪

学校
今回のメイン!それは西口さんと伊藤さんが協力して出来た校舎だ!
名前は「慈愛の愛と平和のチョムニ小学校」。この学校は都会にあり、今までどうやったらこの人数がこの教室に入ってたんだ?と言うほど狭い。写真の用に、一つの机に3~4人座っている。どう見ても二人が使うスペースだ。

西口さんは墨字を書き、遊書展を何度も開催し、その売上金をカンボジアの学校建設の費用にした。一つの校舎が出来るのは約250万円~300万円。今回は校舎と制服と鉛筆をプレゼントした。そして一枚ずつ手書きの「愛」と書いたはがきを子供達にプレゼントした。その字をジ~~~っと見ている一人の子供がいた。この言葉の意味を、彼女は理解するときはいつだろう?

ちなみに学校はカンボジアの方々の要望と支援する人と、お互いの話し合いで決定する。今回は街だったが、次回はとても田舎の学校がない、子供達が余儀なく働いている、そんな場所にしたいと事務局の方が言っていた。私もそのお手伝いをしたい。kao

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笑顔の素敵な子供達♪

伸びゆく
ここは「伸びゆく子供達」と言う名の施設。
驚いた!子供達が「翼をください」を日本語で歌ってくれたのだ!
泣いた。私達がクメール語の歌を歌うなんて、本当にありえないくらい難しい事で、日本語で歌ってくれている。とても難しい事だと思う。何故か皆、涙が止まらなかった。

後から色々調べたら、孤児院によってはあらゆる所から外国人が遊びに来る。その外国人の母国語の歌を子供に歌わせると、外国人は感激し、涙し、支援活動をたくさんしてくれる。それを狙ってわざと子供達に教えている、という孤児院もあるらしい。でも、ここの子供達が泣きながら歌ってくれた、あの涙は本当だったと思う。

もう一つ驚いたのは、とっても明るい。名前は?って聞くと私も!私も!と次々に名前を言ってくる。女の子はおしゃれもしている。洋服や、アクセサリーも意識している。おしゃれに感心があるって事は、生きていく上で心の余裕があることだね。
そして、とっても子供達は仲良く、協力しあって生きているんだな~と感じた。
 現在、日本では晩ご飯を一人、もしくは子供だけで食べているというのが10人に3人。親がいない夜を過ごす子供と、兄弟のように皆で生活している子供。本当に幸福なのはどっちだろう?kao

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堀本さんについて・・・

堀本さん
カンボジア式のお通夜と告別式に出席させて頂いた。堀本さんのお通夜だ。
堀本さんが建設された学校で行われた。たくさんの尼さん、子供達、知人が出席して、皆、泣いていた。
彼がどんな事をしていたのかは、是非こちらを見て頂きたい。
とても偉大で、この国にかかせない人なのだ!
彼が亡くなった今、一体誰がこの国を支援し、国の方々の心を支えていけるのだろうか?というくらい、この国の為に命をかけ生き抜いた。そしてこの国でその命を失った。
どこに行っても、誰と会っても彼の名前が出てくる。そして皆が故人の冥福を祈る。

堀本さんが生きてきた証はずっとこの国に、皆の心に刻まれるだろう。
 
私はお会いしたことがないが、このスタディツアーに導いてもらった。今、この地にいる事、ここで私が学ぶ事が出来ること、その事にとても感謝した。「オックンチュライ]kao

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母は偉大だ。

母
「慈愛の母計画」本部に行った。
簡単に言えば、尼さんが一軒一軒お家を訪ね、悩みがある家庭や貧しい人々を物資の支援でなく、心の支援をボランティアでしている。
悩みとは、{幼児、少女売春。エイズ。麻薬。暴力。強姦。強盗。貧困。精神障害。etc}世の中のすべての悪が、ここにはあるのではないか?何故?
戦後の傷跡がまだまだ癒えず、教育が発達していなく、経済の未発達や政府の無関心からこんな事になってしまう。
こんな事が無くなるように子供達の教育の為、学校建設も勿論必要だが、大人になると教育は難しい。
で、尼さん達が母親の愛情を持って支え、支援していく。この5年間地道にやってきて、少しずつ良くなっているそうだ。
おじいさん
尼さんが支援している家に物資をもって行った。おじいさんはずっとずっと手を合わせ、目を潤ませた。家族もなく、働けず、いつも一人。どんなに貧しくても家族がいるのといないのとでは、その貧しさの度合いは全然違うだろう。
おじいさんと握手したかった。手を握ろうとしても合わせた両手を下げることはなく、小さな声で何度も何度も「オックンチュライ」(有り難うございます)と言った・・・。
このおばさんは現在身ごもっている。障害がある悩みの上に、強姦されて子供が出来た。
ここでは、皆が言葉を失った。KAO

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子供の大きな綺麗な目♪

村
石川洋燈友会、事務局長の大西さんと、事務局の高野さんは、カンボジアの子供の里親になっている。一人の子供に対し、年間4万円の支援をしている。
二人とも、支援している子供に会うのは初めてだそう。

大西さんの里子はご両親を亡くし、親戚に預けられている。ここは12人家族。子供達にあめ玉を配ると、とっても恥ずかしそうに受け取り、はにかむ。この小屋がもしかして家?という小さな住居に皆で布団もなく、そのまま眠るらしい。服は破れ、牛を飼っているのでうんこがたくさん落ちていて、そこを裸足で走り回る子供達。子供の顔だけ見ていると、とても貧しそうには見えない。大きな目で、じっと私達に何かを期待しながら見つめてくる。

高野さんの里子は二人。下の男の子が11歳ときいて驚く。どう見ても7~8歳くらいの体だ。ここの国の子供は皆小さい。栄養などが不足しているのであろう。支援のおかげかこの子は学校に通い、きちんと挨拶が出来た。ここでは自転車と調味料や米などを渡した。

里子はとても難しいらしい。ご両親がいる所に支援をし、たくさんの現金をあげると大人が働かなくなってしまう。同じ村でも一番貧しい家庭の支援をするが、他にも貧しい家庭はたくさんあり、そこから僻みや妬みも出てくるかもしれない。
色々考えながらの支援であるが、一人でも多くの子供が、学校に行き、知識を身につけ、この国を建て直してほしいという一心で、里親になるのだと思う。 私は今、自分自身その時ではないと感じたので、今は里親にはなれない。私なりの違う支援のやり方があるはずだ。kao

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暑い!かわいい!トイレ!!!(-。-;)

石川カエ記念小学校に行った。
この学校は石川洋先生のお母さんの名前。なんでも、洋先生の夢にお母さんが出てこられて「カンボジアの子供達に学校を建てるように」と言われ、そして出来た、洋先生のもっとも愛される学校。先生は「自分が何かあって他界したときは、この学校の大地に眠りたい」と言うくらい想いが深い。

学校に向かうガタガタ道は半端ではない。車が通ると、小さな小屋のようなお家にいる人々が、ものめずらしそうに必ず見ている。この辺りの小さな子供達は皆、裸だ。服がない。
牛がたくさん飼われている。鞭を持っている牛使いは殆どが子供だ。

石川カエ学校に着くと驚いた!
二列になって子供達が炎天下の中、待っていてくれた。気温は37度。一体何分間、この暑い中並んで待っていたのだろうか?子供達は皆、顔の前で手を合わせ、軽く会釈する。この国の挨拶だ。その間を私達は歩く。
来賓紹介や挨拶後、子供達に記念品を並んでわたす。大人は無理でも、子供とは言葉が通じなくても、くすぐったり、笑ったり、なんとか会話らしいものは出来る。記念品(制服)を貰った子供は、本当に、本当に嬉しそう(^_^)b
こんなに喜んでもらえるんだ!と私は驚いた。そして、目がかわいい☆
と同時に、私、な~~んにもしてないのに、ありがとう「オックン」と感謝される。申し訳ない・・・という気持ちでいっぱいになった。

ここにはトイレと水道がない。それを支援してくれないか?と要望があった。私はどうしてもトイレが我慢出来ず、校舎の後ろに回って用を足した。するとあちこちに子供達が用を足したであろう形跡があり、「そりゃトイレはいるだろ!ヾ(℃゜)々」と思った。
ある人が言った。「いつまでも支援し続けるのは良くない。その知恵を付けるために学校建設を支援しているのであって、ずっと頼られるのは違うと思う。」うん。私もそう思う。その通りだよね。kao

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開発の為の仏教。

仏教
この建物は「開発のための仏教」。
それはNGO団体で、教育、健康、農業などの分野で人々を貧しさから救おうとされています。その代表であるのがヘン・モニチェンダさん。初めて見たときは、仏様の様な笑顔だな~っと思うくらい、ニコニコされてました。この方はカンボジアの若手の僧侶の中でも特に尊敬を集めていた方だったようです。貧しい人や苦しんでいる人を助けるために懸命に努力されていて、この方にシアヌーク国王もひざまずいたといわれています。亡き堀本さんのアジア子供教育基金と、開発のための仏教は手を結んで活動をしておられます。

せっかく訪ねましたが、急遽来て頂いた通訳の方が全然日本語の意味がわからず、少ししか話せない為、ヘンモニチェンダさん始め、皆様が何を伝えたいのか、こちらの意向は伝わっているのかよくわかりませんでした。言葉の壁が、結局最後まで乗り越えられず、とても残念な事が多かったです。

地元の方が、こうやってこの国を建て直そうとしている事はとても大変で、変化が遅いため、ゆっくりゆっくり気を長く持って支援活動をしているのだと思います。私は日本の為に何か活動しよう、と思った事が今まで一度もないので、本当に偉大な方々とご一緒させて頂いているのだ!と感じました。kao

おしりが痛い!

高床式
バスで「バッタンバン」と言う街に移動。4時間かかる。ガタゴトガタゴト、揺れすぎ!ちび(おしり)が痛いだろ!-_-#

コンクリートの道から赤土の真っ赤な道に変わる。
コンクリートの建物から、高床式住居に変わる。
木の高床式住居の屋根から、ワラの屋根に変わる。ドンドン、どんどん、田舎になっていく。ガタゴト、ガタゴト。

住居の下は、牛を飼っている家、料理をしている家、子供の遊び場、様々だ。写真手前の水たまりは、田んぼと繋がる水。道路の両端にはこの水たまりがあり、それを子供が汲んでいる。カメに入れて水をこし、洗濯、歯磨き、体を洗う、すべてこの赤土まじりの茶色の水を使う。

ここには水道、電気、電話、ライフラインがない。文明の利器は何一つない。しかし、街の人は携帯電話持ってたぞ!バイクも車もあるし、美味しそうに屋台でご飯も食べてたぞ!この国は貧富の差がはげしい・・・。あまりにも違いすぎないか・・・?

ボ~~~とバスで外の風景を見る。   
・・・・・感動した・・・・・
地平線が田んぼなのだ!真っ直ぐ見える緑の地平線。
みんな見たことないでしょ♪羨ましいでしょ♪(^_^)b
 こんなに緑豊かな国だから、いつか、ゆっくりでも、皆が幸福になれるはず。それを願うだけでなく、私になんか出来るかな?そんな事を考えながらのバスの旅だった。kao

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カンボジアと言えばここ♪

アンコールワット
初日の夜、カンボジアの「アプサラダンス」を鑑賞しながらのバイキング。バリ舞踊やタイ舞踊に比べ、面白いな~と思ったのは、なんだかストーリーがそのまま踊りに現されていて、わかりやすかった。
そしてここでお酒好きが発覚!次の日から毎晩宴会が始まる・・・(^◇^;) 勿論!私は皆勤賞☆

朝日の前にそびえ立つアンコールワットは、あり得ないくらい美観だった。八重山の山から見る朝日とは格段に違い、綺麗・・・う~~ん他に言葉が見つからない・・・ありふれているけど、「綺麗」としか言いようがない。顔がほころんだ。
 
3つの塔の真ん中に昇ると観音菩薩様がいた。線香を立て、皆で手を合わせる。誰が何を願ったのかは聞いていないけど、きっとみんな「世界が平和になりますように。カンボジアの子供達が幸せになりますように。」これだけだと思う。
 
しかし、刻まれている彫刻がすごい!とっても細かくて、これが手彫りとは思えない。どうやら私、かなり興味があるみたい。穴が空くほど睨み、触り、感心していると、いつも気付けばおいてけぼりで、団体行動を乱してしまった。今更ながら、皆さんごめんなさい_(_^_)_
 こうして楽しいカンボジアの観光旅行は終わった。明日からが本当のこのツアーの始まりだ。(つづく)kao
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カンボジアに行って来た。

今日から長~~~~い私の日記が始まります。皆さん、お付き合い宜しくね♪

石川洋先生率いる「カンボジアスタディツアー」に参加してきた。見てね
 そもそも、「石垣母なる大地の会」の前里さんが昨年このツアーに参加後、八重山毎日新聞での報告を見た。約、一週間の日程でカンボジアの現在の状況、前里さんの感想を呼んで「いつか絶対行きたい!」と思っていた。
それがこんなに早く実現した。
石川先生の支援活動はカンボジアの孤児院、学校建設、貯水池建設、慈愛の母計画(後ほどゆっくり説明する)だ。

関西国際空港で朝13名の顔合わせ。石川洋燈友会の事務局長大西さんの挨拶に、私達は言葉を失った。
「実は言いたくないのですが、日本とカンボジアの中継をしてくれていた堀本が先に現地入りをし、昨日事故で死にました・・・。」
一同言葉を失う。
「ツアーは今更中止することは出来ません。この旅を無事終えることが、堀本への供養だと思うので、皆で協力して旅を終わらせたい。」
出発前に前里さんから「堀本さんがいるから大丈夫。なんでもわかるから安心して。」と聞いていたので、私はものすごく不安になった。
そんな旅の始まりだった。 つづく(ずっとつづく・・・)kao
空港
写真はカンボジアシェムリアップ空港。

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