笑顔の素敵な子供達♪

伸びゆく
ここは「伸びゆく子供達」と言う名の施設。
驚いた!子供達が「翼をください」を日本語で歌ってくれたのだ!
泣いた。私達がクメール語の歌を歌うなんて、本当にありえないくらい難しい事で、日本語で歌ってくれている。とても難しい事だと思う。何故か皆、涙が止まらなかった。

後から色々調べたら、孤児院によってはあらゆる所から外国人が遊びに来る。その外国人の母国語の歌を子供に歌わせると、外国人は感激し、涙し、支援活動をたくさんしてくれる。それを狙ってわざと子供達に教えている、という孤児院もあるらしい。でも、ここの子供達が泣きながら歌ってくれた、あの涙は本当だったと思う。

もう一つ驚いたのは、とっても明るい。名前は?って聞くと私も!私も!と次々に名前を言ってくる。女の子はおしゃれもしている。洋服や、アクセサリーも意識している。おしゃれに感心があるって事は、生きていく上で心の余裕があることだね。
そして、とっても子供達は仲良く、協力しあって生きているんだな~と感じた。
 現在、日本では晩ご飯を一人、もしくは子供だけで食べているというのが10人に3人。親がいない夜を過ごす子供と、兄弟のように皆で生活している子供。本当に幸福なのはどっちだろう?kao

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堀本さんについて・・・

堀本さん
カンボジア式のお通夜と告別式に出席させて頂いた。堀本さんのお通夜だ。
堀本さんが建設された学校で行われた。たくさんの尼さん、子供達、知人が出席して、皆、泣いていた。
彼がどんな事をしていたのかは、是非こちらを見て頂きたい。
とても偉大で、この国にかかせない人なのだ!
彼が亡くなった今、一体誰がこの国を支援し、国の方々の心を支えていけるのだろうか?というくらい、この国の為に命をかけ生き抜いた。そしてこの国でその命を失った。
どこに行っても、誰と会っても彼の名前が出てくる。そして皆が故人の冥福を祈る。

堀本さんが生きてきた証はずっとこの国に、皆の心に刻まれるだろう。
 
私はお会いしたことがないが、このスタディツアーに導いてもらった。今、この地にいる事、ここで私が学ぶ事が出来ること、その事にとても感謝した。「オックンチュライ]kao

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母は偉大だ。

母
「慈愛の母計画」本部に行った。
簡単に言えば、尼さんが一軒一軒お家を訪ね、悩みがある家庭や貧しい人々を物資の支援でなく、心の支援をボランティアでしている。
悩みとは、{幼児、少女売春。エイズ。麻薬。暴力。強姦。強盗。貧困。精神障害。etc}世の中のすべての悪が、ここにはあるのではないか?何故?
戦後の傷跡がまだまだ癒えず、教育が発達していなく、経済の未発達や政府の無関心からこんな事になってしまう。
こんな事が無くなるように子供達の教育の為、学校建設も勿論必要だが、大人になると教育は難しい。
で、尼さん達が母親の愛情を持って支え、支援していく。この5年間地道にやってきて、少しずつ良くなっているそうだ。
おじいさん
尼さんが支援している家に物資をもって行った。おじいさんはずっとずっと手を合わせ、目を潤ませた。家族もなく、働けず、いつも一人。どんなに貧しくても家族がいるのといないのとでは、その貧しさの度合いは全然違うだろう。
おじいさんと握手したかった。手を握ろうとしても合わせた両手を下げることはなく、小さな声で何度も何度も「オックンチュライ」(有り難うございます)と言った・・・。
このおばさんは現在身ごもっている。障害がある悩みの上に、強姦されて子供が出来た。
ここでは、皆が言葉を失った。KAO

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子供の大きな綺麗な目♪

村
石川洋燈友会、事務局長の大西さんと、事務局の高野さんは、カンボジアの子供の里親になっている。一人の子供に対し、年間4万円の支援をしている。
二人とも、支援している子供に会うのは初めてだそう。

大西さんの里子はご両親を亡くし、親戚に預けられている。ここは12人家族。子供達にあめ玉を配ると、とっても恥ずかしそうに受け取り、はにかむ。この小屋がもしかして家?という小さな住居に皆で布団もなく、そのまま眠るらしい。服は破れ、牛を飼っているのでうんこがたくさん落ちていて、そこを裸足で走り回る子供達。子供の顔だけ見ていると、とても貧しそうには見えない。大きな目で、じっと私達に何かを期待しながら見つめてくる。

高野さんの里子は二人。下の男の子が11歳ときいて驚く。どう見ても7~8歳くらいの体だ。ここの国の子供は皆小さい。栄養などが不足しているのであろう。支援のおかげかこの子は学校に通い、きちんと挨拶が出来た。ここでは自転車と調味料や米などを渡した。

里子はとても難しいらしい。ご両親がいる所に支援をし、たくさんの現金をあげると大人が働かなくなってしまう。同じ村でも一番貧しい家庭の支援をするが、他にも貧しい家庭はたくさんあり、そこから僻みや妬みも出てくるかもしれない。
色々考えながらの支援であるが、一人でも多くの子供が、学校に行き、知識を身につけ、この国を建て直してほしいという一心で、里親になるのだと思う。 私は今、自分自身その時ではないと感じたので、今は里親にはなれない。私なりの違う支援のやり方があるはずだ。kao

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