限定の…♪

プリンこのプリン、1日30本の限定品なんです!
限定品…なんていい響きなんでしょう。ついつい買ってしまいます(^_^;)
これは「琉球スイーツ庵」さんのプリンです。私の最近のお気に入りのお店のひとつです。自宅がお菓子工房&販売店舗の小さなお店で、シフォンケーキのお店です。
シフォンケーキはふわふわ、いろんなフレーバーがあって、デコレーションもしてくれます。前にいただきましたが、フルーツたっぷりで見た目もかわいくて、とってもおいしかったですよ(^^)
そして、このプリン。はやりのなめらかタイプで、とーっても濃厚。大満足です。でもビンの口が小さいので、ちょっと食べにくいかな…。専用の長いスプーンで食べるのですが、それでも、うーん…。
容器はゴミにならないように、リサイクルできるビンにしたんだとか。だから食べ終わったビンはお店に持って行かなくちゃね。で、ついでに、また買っちゃうんだよな~(^^ゞ miyako
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小浜島に初上陸いたしました♪

私、ユミ姫ゎ石垣生まれ石垣育ちの島ギャル★なワケ。だけどがさ!八重山諸島の島の名前を、全部答えられたためしがないってばぁ・・(恥)
今回ゎですね~。REKIOの社員旅行というコトで、初めて小浜島に上陸したというお話(*^^)v前の日からウキウキ~♪してからさぁ(笑)調子に乗ってウェイクなんかしに行ってしまった・・。超・筋肉痛(/_;)
当日は、すこし風もあったけど超・イィ天気(^O^)船で約30分くらい?見えた!!アレが小浜島だ~♪何して遊ぶ?どこで飲む??
はいむるランチ.jpg
とりあえず、ご飯だろ(笑)ってコトで、ホテル内のレストランへGO!GO!写真ゎ、ユミが頼んだもの。そば&タコライス・・(-.-#)ミニ・タコライスって書いてあったのに、結構でかいっちゃう!?あれ~全部食べちゃった。お腹パンキレそうさぁ(×_×)←意:はち切れそう
大岳.jpg
お腹も一杯になったところで、みんなで原チャ借りて、シュガーロードを通り古波蔵荘に寄って、向かうは大岳★(うふだき)10分くらいで登れる山?なんだけど、筋肉痛のユミには目の前の階段が・・。殺す気か!日頃の運動不足もあって、ハァハァ言いながら登った。やったど~~~\(^O^)/曇っていて絶景とは言えなかったけど、清々しい♪この後の、帰り道でひざが笑ってた・・・。
黒真珠.jpg
ユミは、夜がくるのを心待ちにしていた。うっひょ~い♪酒だぁ~~∈^0^∋ビールと鍋で乾杯(*^^)vその後、BARに移動して利き泡盛?やったけど、分からんなぁ。どれも美味しいさぁ(笑)みんなでいっぱい酒飲んで、はっさ!!踊ればいいワケさぁ~~★幸せだ・・

初・小浜島だったけど、ユミゎこんなイイ島をナゼ知らなかったのかなぁ。次は、どの島を攻めようか(>y<;)

長い間、有り難うございました。(・_・)(._.)

トム
カンボジアのまとめ・・・

まず、出来ることから始めよう。

①REKIOに募金箱おきました。これはニュートレッションセンターに持っていきます。皆さん、よろしくです。ェ(__)ェ

②ノリア職業訓練所は素晴らしい裁縫の腕がある。なんとかしてそのシャツの販売が出来ないか?何枚か買ったけど、かなりしっかりしてるんだ。(^_^)b
幸い、うちは衣料品を扱っているので、縫って貰ってそれにプリントして販売したり、出来上がったもの買って販売し、その売上を又、カンボジアに返す事も可能ではないか?

③今回、一番考えさせられたのは、障害の子供を見たとき。カンボジアにとらわれず、帰って八重山で出来ることは沢山あるのではないか?ここ石垣島にも養護学校や、施設はいくつかある。運動会やお遊戯会なんかにTシャツをプレゼントしよう!

④フリーマーケットに参加して、家にあるいらない物を販売して、カンボジアの新しい学校建設の資金につなげよう!

⑤募金箱を友人のお店などに置いて貰い、これも寄付につなげよう。

なんだか、出来るか出来ないかわからない事をずらっと並べましたが、無理せず、とらわれず、出来ることから始めよう。
 
そして、今回のツアーで一緒に行った方々はとても意識を高く持っていて、皆さん尊敬しました。
一番得たことはこの方々に出会えたこと。
皆、それぞれカンボジアの国の事をまじめに取り組み、活動されています。私も、皆さんや堀本さんのお役に少しでも立てるよう、少しずつ頑張っていきたいと思います。

以前、筑紫哲也さんがいしがき市民大学に来られておっしゃってました。「ボランティアというのは、頑張りすぎず、あきらめない事」
私もそんなスタイルで、やっていこうと思います。
 そして、こうやって私が体験出来たのはスタッフのお陰。お留守番ありがとう。皆に私は生かされているのだな~~。

長々と私の日記にお付き合い頂き、有り難うございました。
文章力がない上、話し下手なのでわけわかんなかったでしょ?(^◇^;)
すいません。_(_^_)_ 有り難うございました。
これからは又、スタッフ皆で、八重山で起きたこと、感じたことを発信していきますので、呆れずにレキオ通信をよろしくお願い致します。
では、久々にレキオスタッフに交代です(^_^)b kao

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障害とエイズを考える。

障害とエイズ

ニュートリッションセンターと言う名の孤児院。
ここでは現在118名の子供がいる。その中で30名はエイズに感染。障害を持つ子供は70名。びっくりすることに、元気な子供はわずか、18名。
 資金は国から20%残り80%はすべて寄付で運営されている。写真の様に他の国からボランティアで保母さんが来る。彼女は学生で3ヶ月だけここにいる。
石垣島から工場長が一生懸命プリントしたトレーナー80枚をここの子供達にあげた。
 
その後、教室を回った。今現在教室にいるのは障害者とエイズの子供(写真右)だ。
障害を持つ子供は、日本の障害の子供となんら変わりない。ただ、医療が発達していないので、顔のつぶれ方や、体の曲がり方が少し大きい。でも、話しして少し理解出来る子もいるし、あめ玉を差し出すと一生懸命手を伸ばす。屈託のない目と、嬉しそうな笑顔は障害者だろうが、エイズだろうが、子供は子供。とってもかわいい♪

その後、エイズであろう子供達と遊んだ。メンバーの中には、障害者の子供もエイズの子供もふれることが出来ない人もいた。その感覚は不思議だった。

これが、カンボジアの最後の体験だった。
ここから今日まで、ゆっくりゆっくり考えた。まず、私に出来ること・・・kao

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ここでは言葉が出ない・・・

ポルポト
私は歴史や社会が学生の時は大嫌いで、政治や他国がどういう事が起きているのか、一切興味がない子供でした。
なので、カンボジアの国が私が小学生中学生の頃、こんなに大変な事になっていたなんて、恥ずかしながら最近知りました。
写真を撮るのにかなり抵抗がありましたが、少しでも通信した方がいいのでは?と思い、思い切って少し撮影しましたが、あまりにもむごい物は無理でした。

 ポル・ポト政権は、都市の住民を農村へ強制移住させ、全国で虐殺が繰り返され、200万人くらいが犠牲になったらしい。
 市場や通貨の廃止、学校教育の廃止、宗教活動の禁止、人民公社による集団生活、親と子の隔離など。
 虐殺されたのはほとんどが一般の罪のない市民でした。特に印象深かったのが、親の目の前で子供を木に頭をぶつけて殺害したこと。その絵は鮮明に頭からはなれない。
 ここトゥール・スレン博物館(元刑務所)は虐殺された死体の写真が壁に飾られ、床には血の後がそのまま残っていました。
虐殺する前に顔写真をとり、それも飾られていました。そして最後の部屋には、カンボジアの国の地図が殺された方々の頭蓋骨が飾られていました。

私達の仲間は言葉を失い、一歩も中に入れない人もいました。見学している最中、背筋が凍るとはこの事でしょうか?気分が悪くなりました。皆、写真も撮れなかった様です。
同じ国の人間が同じ血の通った人間を殺すのは、もう気が狂っているのかな?この政権も、何もかもが私には全く理解出来ませんでした。
この方のHPはわかりやすく書いてます。私はこれ以上詳しくは無理です。ごめんなさい。kao

平和のクリックよろしくです。

学校の校舎が出来た♪

学校
今回のメイン!それは西口さんと伊藤さんが協力して出来た校舎だ!
名前は「慈愛の愛と平和のチョムニ小学校」。この学校は都会にあり、今までどうやったらこの人数がこの教室に入ってたんだ?と言うほど狭い。写真の用に、一つの机に3~4人座っている。どう見ても二人が使うスペースだ。

西口さんは墨字を書き、遊書展を何度も開催し、その売上金をカンボジアの学校建設の費用にした。一つの校舎が出来るのは約250万円~300万円。今回は校舎と制服と鉛筆をプレゼントした。そして一枚ずつ手書きの「愛」と書いたはがきを子供達にプレゼントした。その字をジ~~~っと見ている一人の子供がいた。この言葉の意味を、彼女は理解するときはいつだろう?

ちなみに学校はカンボジアの方々の要望と支援する人と、お互いの話し合いで決定する。今回は街だったが、次回はとても田舎の学校がない、子供達が余儀なく働いている、そんな場所にしたいと事務局の方が言っていた。私もそのお手伝いをしたい。kao

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笑顔の素敵な子供達♪

伸びゆく
ここは「伸びゆく子供達」と言う名の施設。
驚いた!子供達が「翼をください」を日本語で歌ってくれたのだ!
泣いた。私達がクメール語の歌を歌うなんて、本当にありえないくらい難しい事で、日本語で歌ってくれている。とても難しい事だと思う。何故か皆、涙が止まらなかった。

後から色々調べたら、孤児院によってはあらゆる所から外国人が遊びに来る。その外国人の母国語の歌を子供に歌わせると、外国人は感激し、涙し、支援活動をたくさんしてくれる。それを狙ってわざと子供達に教えている、という孤児院もあるらしい。でも、ここの子供達が泣きながら歌ってくれた、あの涙は本当だったと思う。

もう一つ驚いたのは、とっても明るい。名前は?って聞くと私も!私も!と次々に名前を言ってくる。女の子はおしゃれもしている。洋服や、アクセサリーも意識している。おしゃれに感心があるって事は、生きていく上で心の余裕があることだね。
そして、とっても子供達は仲良く、協力しあって生きているんだな~と感じた。
 現在、日本では晩ご飯を一人、もしくは子供だけで食べているというのが10人に3人。親がいない夜を過ごす子供と、兄弟のように皆で生活している子供。本当に幸福なのはどっちだろう?kao

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堀本さんについて・・・

堀本さん
カンボジア式のお通夜と告別式に出席させて頂いた。堀本さんのお通夜だ。
堀本さんが建設された学校で行われた。たくさんの尼さん、子供達、知人が出席して、皆、泣いていた。
彼がどんな事をしていたのかは、是非こちらを見て頂きたい。
とても偉大で、この国にかかせない人なのだ!
彼が亡くなった今、一体誰がこの国を支援し、国の方々の心を支えていけるのだろうか?というくらい、この国の為に命をかけ生き抜いた。そしてこの国でその命を失った。
どこに行っても、誰と会っても彼の名前が出てくる。そして皆が故人の冥福を祈る。

堀本さんが生きてきた証はずっとこの国に、皆の心に刻まれるだろう。
 
私はお会いしたことがないが、このスタディツアーに導いてもらった。今、この地にいる事、ここで私が学ぶ事が出来ること、その事にとても感謝した。「オックンチュライ]kao

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母は偉大だ。

母
「慈愛の母計画」本部に行った。
簡単に言えば、尼さんが一軒一軒お家を訪ね、悩みがある家庭や貧しい人々を物資の支援でなく、心の支援をボランティアでしている。
悩みとは、{幼児、少女売春。エイズ。麻薬。暴力。強姦。強盗。貧困。精神障害。etc}世の中のすべての悪が、ここにはあるのではないか?何故?
戦後の傷跡がまだまだ癒えず、教育が発達していなく、経済の未発達や政府の無関心からこんな事になってしまう。
こんな事が無くなるように子供達の教育の為、学校建設も勿論必要だが、大人になると教育は難しい。
で、尼さん達が母親の愛情を持って支え、支援していく。この5年間地道にやってきて、少しずつ良くなっているそうだ。
おじいさん
尼さんが支援している家に物資をもって行った。おじいさんはずっとずっと手を合わせ、目を潤ませた。家族もなく、働けず、いつも一人。どんなに貧しくても家族がいるのといないのとでは、その貧しさの度合いは全然違うだろう。
おじいさんと握手したかった。手を握ろうとしても合わせた両手を下げることはなく、小さな声で何度も何度も「オックンチュライ」(有り難うございます)と言った・・・。
このおばさんは現在身ごもっている。障害がある悩みの上に、強姦されて子供が出来た。
ここでは、皆が言葉を失った。KAO

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子供の大きな綺麗な目♪

村
石川洋燈友会、事務局長の大西さんと、事務局の高野さんは、カンボジアの子供の里親になっている。一人の子供に対し、年間4万円の支援をしている。
二人とも、支援している子供に会うのは初めてだそう。

大西さんの里子はご両親を亡くし、親戚に預けられている。ここは12人家族。子供達にあめ玉を配ると、とっても恥ずかしそうに受け取り、はにかむ。この小屋がもしかして家?という小さな住居に皆で布団もなく、そのまま眠るらしい。服は破れ、牛を飼っているのでうんこがたくさん落ちていて、そこを裸足で走り回る子供達。子供の顔だけ見ていると、とても貧しそうには見えない。大きな目で、じっと私達に何かを期待しながら見つめてくる。

高野さんの里子は二人。下の男の子が11歳ときいて驚く。どう見ても7~8歳くらいの体だ。ここの国の子供は皆小さい。栄養などが不足しているのであろう。支援のおかげかこの子は学校に通い、きちんと挨拶が出来た。ここでは自転車と調味料や米などを渡した。

里子はとても難しいらしい。ご両親がいる所に支援をし、たくさんの現金をあげると大人が働かなくなってしまう。同じ村でも一番貧しい家庭の支援をするが、他にも貧しい家庭はたくさんあり、そこから僻みや妬みも出てくるかもしれない。
色々考えながらの支援であるが、一人でも多くの子供が、学校に行き、知識を身につけ、この国を建て直してほしいという一心で、里親になるのだと思う。 私は今、自分自身その時ではないと感じたので、今は里親にはなれない。私なりの違う支援のやり方があるはずだ。kao

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